好きなことを仕事や生業とする幸せ。これはその当事者よりも、好きでもない職に従事したときに、より感じるものなのかもしれません。
最近のある調査によると、そういう意味での「幸せ者」は3割弱。およそ3人から4人に1人、だそうです。ひと昔前までより、増えたように思います。世の多様化や働き手不足も背景にあるのでしょうか。
ともあれ、私は「幸せ者」のひとり。大好きな野球というスポーツをど真ん中に据えて日々、働いて暮らしています。思い通りにいかないことのほうが圧倒的に多い。にもかかわらず、幸せを感じることができるのは、少年時代から熱中してきた野球に深く絡めているからに他なりません。
そもそも「幸せ」とは主観。第三者の観念や物差しで決まるものではありませんね。自分の「幸せ」が額面通りには、人様に理解されないこともよくあるのだと思います。なにしろ私も、ともに暮らす息子からこのように言われたりするのですから。
「父ちゃん、毎日そんなに仕事と野球ばかりで楽しいの?」
もちろん! 考えるまでもなく即答できます。でも、一歩引いて俯瞰してみると、自分自身に対して感じてしまうことがないわけではありません。
“オレって、ホントに無趣味でつまんねぇヤツだな…”
お酒は嫌いではありませんが、飲まなくても普通に暮らせます。軽く晩酌程度はすることもありますが、自分から外へ積極的に飲みに出ることはまず、ありません。
競馬や競輪、競艇などの公営ギャンブルも、やったことがないので知識ゼロ。馬券がいくらで、どこでどういう買い方をするのかも知りません。なので、人との会話でギャンブル系の話題となったときには「そうなんですか」と「そうなんですね」くらいしか言えない。パチンコやスロットも未経験。それこそ「宝くじ」すら、一度も買ったことがないのです。
誤解を恐れずに言えば、運をそんなところで使いたくない! 私にはこういう思いが根強くあります。またその「運」は、そのまま「時間」に換言できるかもしれません。
着るものや身につけるものや使うものなど、日常的なアイテムにもほとんど無頓着。その理由は、買い物やチョイスにかける時間が惜しいから。関心がわかないというより、面倒くさいと思ってしまうのです、勝手に。
ですから、「私服」と呼べるものは冬用と夏用でアウターが少しある程度。あとはたとえば、Tシャツでも同じメーカーの同じカラーの同じサイズを3着常備していて、それを着回している。モノへの執着度については、ほぼこんな感じです。
こういう性分なので、月イチでコラムを書くにもジャンルが限定されつつあるような気も。先述したように“オレって、つまらねぇ…”と思いかけて気付きました! この私にも、仕事と野球以外に趣味と呼べるものがあったのです。
ずばり、サウナです。それも昨今のブームに便乗したのではなく、年季も入った筋金入りの玄人。その始まりは「サウナー」や「整い」なんて言葉は存在もしなかった、昭和時代の末期ですから。
過去のコラムで書きましたが、私は東京の下町に生まれ、母子家庭で育ちました。金銭面では非常に厳しい暮らしでしたが、私と兄の息子2人のために昼夜を問わずに働いてくれた母には感謝しかありません。私はまして、大好きな野球を高校まで何不自由なくやらせてもらえたのです。
その高校球児の時代にハマったのが、サウナでした。生家にはお風呂がなく、幼いころから銭湯へ。千葉県の私立高校で、仲間と甲子園を目指すようになった私は、帰宅は毎晩11時半前後でしたが、銭湯通いを欠かしませんでした。
幼少期から通い詰めた下町の銭湯。その後、屋号も経営も変わったようだが、場所と思い出はそのままだ
その後、名前も経営も変わったようですが、当時の浅草にあった「旭湯」という銭湯。高校時代は確か料金400円で、サウナも自由に出入りできました。深夜帯のそこは、ほとんどが顔見知り。高校球児だった私はみなさんの関心の的で、気付けばサウナと水風呂までともにして話をするように。
そしてある日、甘美な世界を知ってしまったのです。今風の言葉では「整い」というトランス状態。私の場合は、体が軽くなって宙に浮いているような感覚。汗とともにムダな毒素も抜けた感じがして、頭の中も空っぽの「無」になる。すると、翌朝は疲労感ゼロで、すっきりと目覚めて5時20分の始発電車に乗って野球部の朝練へ。
このサイクルが高3夏まで約2年半、続きました。競技者としての野球は高校で終わりましたが、脳と体はあの甘美な「整い」の快感を忘れるわけがありません。ある種の中毒、“サウナ・ジャンキー”がここに生まれたのでした。
社会人になってからは、街を車で運転していても「湯」「サウナ」などの看板や電飾、温泉のようなマークに敏感に反応。仕事帰りであれば、初見のサウナはほぼ確実に立ち寄ります。すべてはあの、快楽を求めて――。
まずは湯舟に数分つかって、汗が出る程度になったらサウナへ。大抵のサウナには針1周で12分のアナログ時計があり、その半分までサウナで汗を出したら水風呂へ。キュッと体が締まったら、今度はサウナで12分の我慢をしてまた水風呂へ。この2巡目の後に、外気浴や休憩に入る人も多いようですが、私はすぐに3度目のサウナへ。
このときが一番キツいのですが、時計の針が1周(12分)するまで辛抱します。これでトータル30分。サウナでたっぷりと汗を出し終えたら、ようやく外気浴へ。ゆったりしたチェアなどに身を預けると、どこからともなくやってくるのです、甘美な世界が――。
上記が私の「整い」までの不変のルーティン。最終的にこのサイクルで落ち着くようになったのは、20年以上も前だと思います。私にとっての「サウナ」とは、銭湯とのワンセット。水風呂と湯舟が不可欠なので、地方出張時のビジネスホテルなど、大浴場とサウナがあっても水風呂を併設していない場合は利用しません。
また、昨今の流行りのロウリュ(蒸気を発するサウナ)やスチームサウナ、塩サウナ、岩盤浴など、案内を目しても何ら惹かれません。昔ながらの狭苦しい、灼熱の高温サウナでいいのです。
コロナ禍以降、サウナ通いは少なくとも週4。だいたいは週5です。朝イチに日帰り入浴施設へ行き、密状態にないサウナをゆったりと利用して「整う」のが私の生活のルーティンとなっています。
マイカーの中に、サウナ用のタオル類やサウナマット(下)を常備している
体力的に厳しいと感じる日もありますが、頭と心はやはりサウナを求めている。そして「整い」を経てから出社すると、仕事がすこぶる捗ります。また用事がなければ、夜の10時には眠くなって翌朝5時にはまたスッキリと目覚めることができる。
「野球」と「仕事」と「サウナ」を除くと、何も残らなくなってしまうのが私かもしれません。あっ! でも、また思い出しました。幼いころから父に連れられてグラウンドと銭湯へ行っていた息子たちも、大のサウナ好き。彼らと、サウナで我慢比べをすることがあります。
どちらが長く、サウナに留まることができるか――。最近は一緒に行った際は、飲み物を賭けて必ず勝負をしています。ギャンブルや賭け事とは生涯、無縁のつもりでしたが、やっていましたね。意外に身近なところで、おままごと程度の賭け事を。
日々の仕事で抱える悩みや問題は尽きませんが、それらを忘れたり、考え事をする目的でサウナへ行くことはありません。あくまでもそこは私にとって、俗世と隔絶できる神聖な空間。「整い」の中で、自然と浮かんできたアイデアから誕生した新商品もないわけではありません。ただ、今回はこのまま、仕事の話は抜きで締めたいと思います。
ではまた、1カ月後に。汗を出したわけではありませんが、「仕事絡み」を1回抜いた分、すっきりと書けそうです。もちろん、早朝サウナの後に。
(吉村尚記)