【2025注目の逸材】
やまざき・ゆずき
山﨑柚樹
[千葉/新6年]
とよがみ
豊上ジュニアーズ
※プレー動画➡こちら
【ポジション】投手、一塁手
【主な打順】七番
【投打】左投左打
【身長体重】150㎝42㎏
【好きなプロ野球選手】今永昇太(DeNA)、小林宏之(元ロッテほか)
※2025年1月7日現在
「今年はいつになく、髙野(範哉監督)の本気度みたいなものを感じますね」
“千葉の盟主”豊上ジュニアーズを率いる名将の腹心、原口守コーチがそう打ち明ける。
2025年の学童野球界は、このチームを軸に回ることになるのかもしれない。個々の成長と全体の底上げをしながら、全国ベスト8まで躍進した昨夏が記憶に新しいところ(リポート➡こちら)。
その8強メンバーには、5人の5年生たちがいた。福井陽大と神林駿采はレギュラーの主力で、中尾栄道は「代打の切り札」。いずれも世代屈指とも言える有望株で、このトリオが看板となった新チームは当然のように、新人戦の千葉大会を制して関東大会へ。
うれしい悲鳴のワケ
迎えた秋の最高位の舞台。関東大会で脚光を浴びたのはしかし、聞き覚えのない名前の背番号1だった。“関東の雄”茎崎ファイターズ(茨城)との1回戦で先発した、サウスポーの山﨑柚樹だ。
注目の一戦でまっさらなマウンドに立つと、初球で3ケタの100㎞をマーク(球場表示)。さらに101、102と球速を増しながらトップバッターを追い込むと、80㎞の遅球(ファウル)に続く、102㎞の速球で見逃し三振に。
そのままエンジン全開で、3者凡退で立ち上がった。この初回の三番打者に投じた2球目の「103㎞」が、大会の全投手を通じた最速レコードだった。
「茎崎には練習試合でも投げたんですけど、バッティングも良いチーム。一番の石塚(匠)クンにも打たれてたので、今回は絶対に抑えてやろうと強めに投げました」(山﨑)
茎崎の一番・石塚もやはり、指折りの左打者で、4年生で全国デビューしている。その看板バッターを2打数無安打に。
意識や気持ちの過多は、ボール球の先行や四死球につながりがちだが、マウンドの背番号1は常に堂々としていた。バックに複数のミスがあり、四死球や被弾もあって勝負には敗れたものの、70球に達する4回二死まで投げ抜いて失点5の自責点1。最後は回またぎで3連続三振を奪ってみせた。
何より際立ったのは、バランスの取れたフォームから最後に力強く振られる左の腕だった。いちいち電光掲示板の球速を確認するまでもなく、そのストレートは生きて走っていた。
「ホームランも打たれましたけど、103㎞を出せたのは自分的には良かったと思います」
自滅とも言える試合内容での1回戦敗退(リポート➡こちら)。直後はお冠だった髙野監督は後日、このように山﨑を評している。
「どんどん良くなってきてますね。知り合いの監督たちからも『すごく良い』と言われます。4年生までは4番手5番手で、あんなに投げられるような子じゃなかったんですよ。でも、今の6年生(卒団)たちの代の中に、5年生の主力を入れちゃったから、(学年チームに)残ったメンバーの中でピッチャーをやって育ってきた感じ。私からすると、まだまだなんですけどね」
6年生たちと夏の全国を経験した中尾、福井、神林のトリオは、下級生時代から投手としても実績と定評がある。そこへ山﨑が分け入ってきたことで“豊上カルテッド”が形成された。昨年末の時点で、指揮官はうれしい悲鳴をあげていた。
「こんなに結構なレベルで、ピッチャー陣が争えるのは初めてなんですよ。正直、あの子(山﨑)をどうするかというのを今、悩んでいます」(髙野監督)
多様なキャラクター
学校ではクラス委員なども買って出るリーダータイプで、授業中も挙手しての発表が多いという。読書も好きで、よく図書室へ。
「柳田悠岐(ソフトバンク)の自伝とか、借りて読んでいます」
取材者の質問に対しても基本、「はい」と「いいえ」で終わらない。自分の解釈と言葉で落ち着いて受け答えができる。
「将来の夢は? プロ野球選手になって、日本人最速の166㎞を投げたいです。そのためには? 1年で10kmずつ伸ばしていく感じで。今までやっている体幹のトレーニングを増やして(バリエーションとボリューム)、6年の夏にはコントロールをもっと良くして、なおかつ110㎞を超えたいです」
力強い腕の振りの要因のひとつには、肩関節の柔らかさがある。日々の鍛錬の賜物だ
甘ったれで気持ちが弱い。おふざけキャラで、試合ではポカが絶えない怒られ役…。事前に聞いていた像と目の前の新6年生とが、どうも結び付かないところもあるが、いろんな側面があるということだろう。
パーソナリティや道程を語る上でも外せないのは、家族の存在だ。
姉、兄、姉、兄、兄に続く末っ子。6番目の四男坊として生を授かったのが、山﨑だ。印西市出身の父・一男さんは生粋の野球人で、どの息子とも幼少期から白球で戯れた。また、末っ子が4年生に上がるまでの3年間は、豊上で学年チームの監督も務めてきた。
「親は誰でも息子に期待すると思うんです。でも、長男のときは私がガーッと言って本人は自分の意見も言えないような状態。期待を押しつけるというか『アレやれ!これもやれ!』と。それが遠回りかなと次男までで悟りましたので、今は一定の距離を置いて冷静に見てますね。すると逆に、本人からいろいろと聞いてくることも…」(一男さん)
末っ子も一番の頼りにしているのはやはり、父親のようだ。特に投球フォームについては最大の理解者であり、日々の確認や修正を二人三脚でやっているという。
「投げ方はお父さんがチェックしてくれて、体幹とかトレーニングは2番目のお兄ちゃん(市立柏高3年)がいろいろ教えてくれます。お父さんもお兄ちゃんも、野球のことでは厳しいです」
Mの元エースからも薫陶
父のススメで4年時にトライしたのが、千葉ロッテマリーンズが主催する通年スクールの「アドバンストクラス」受験。NPB球団のアカデミーは通常、空きがあれば先着順で生徒になれる。
千葉ロッテでは『より専門的で高度な練習を行う』というアドバンストクラスも開講中。こちらでレッスンを受けるには、二次までのセレクションを実技で通過する必要がある。
低学年時は一塁を守って四番も打っていたことがあるという山﨑は、その試験に合格。晴れて5年生の春から、バッテリークラスの受講生となり、毎週木曜夜に両親の送迎で柏市から千葉市の室内練習場へ。
昨秋の関東大会は七番打者で1打数無安打。低学年時は四番を張っていた時期もある
待ち受ける講師は、マリーンズで一時代を築いた元エース、イケメン右腕の小林宏之氏だ。
「小林コーチは投げ方と打ち方をみてくれます。投げ方だったら、(テイクバックで)左腕を体の後ろに隠して打者に見せないとか、いろいろ知らないことも教えてくれます」(山﨑)
1年生からトータルすれば、左打席から放った本塁打は40本超。投打二刀流への想いも消えたわけではないが、学童ラストイヤーは「投手メインで」。これは山﨑親子とチームの首脳陣とで、一致した見解のようだ。
「豊上というのは強いチームで、自分たちの学年は個性が一人ひとり出ていて、すごい選手たちがいる。ライバル心がすごいありますけど、全員が全国に行きたい!という気持ちだと思います」
豊上は2019年から2大会連続で、全日本学童で3位に。コロナ禍明けの2022年は、猛打で8強へ進出(=上写真)。3回戦では登録17人全員が出場し、6人がマウンドに上がった。その中に、山﨑のすぐ上の兄・夢樹(西原中野球部2年)もいた。
「駒沢球場(準々決勝)のスタンドで応援していました。あのときから自分も全国大会を強く意識しています。チームに迷惑をかけないように、コントロールももっと磨いて、速い球を生かして勝利に貢献したい」
身体の発育を含む成長度のバラつきから、パフォーマンスの格差やピークの時差が生じやすいのが小学5・6年生。山﨑を加えた“豊上カルテット”も、誰がどういう経過をたどるのか、事前に知ることはできない。
それでも、4人が委ね合うことなく、切磋磋磨しながら自立した道を歩めば、夏にはチームに待望の黄金のメダルをもたらすのかもしれない。
(動画&写真&文=大久保克哉)