【2025注目の逸材】
さとみ・あおい
里見葵生
[滋賀/新6年]
たが
多賀少年野球クラブ
※プレー動画➡こちら
【ポジション】遊撃手、投手
【主な打順】三番
【投打】右投右打
【身長体重】145㎝43㎏
【好きなプロ野球選手】大谷翔平(ドジャース)、源田壮亮(西武)
※2025年3月10日現在
「小学生の甲子園」全日本学童マクドナルド・トーナメントで、これほど長く経験を積んでいる新6年生は他にいない。
4年夏に全国デビュー
里見葵生は2年生の冬から、名門・多賀少年野球クラブでトップチームに加わり、3年生から3年連続で夏の全国大会に出場中。4年時の初戦(2回戦)に途中出場で全国デビューを果たし、昨夏(5年時)は正遊撃手として3回戦まで進出した。1回戦の2回に右中間へ放ったチーム初ヒット(=下写真)は、無死満塁からの逆転2点タイムリーで、一気に9得点というビッグイニングにつなげた。
日本一3回の名将・辻正人監督の口から、その存在を初めて聞かされたのは2021年の1月、東京での大交流大会のときだった。
「あの子、『スーパー2年生』ですよ! 小さいけど、守備が抜群。ああやって6年生の中に入ってノックを受けても、2年生ってわからないでしょ!?」
昨夏の全国大会初戦当日には、指揮官が推す選手として、下級生の里見の名前が真っ先に挙がった。
「里見がさらに伸びてますね。ショートのキャプテン(松岡湧隼=現6年、卒団済)がケガで出ていない間に、代わりに出ていて実力でレギュラーになりよったんですよ」(辻監督)
戦列復帰した松岡主将は、全国では一番・三塁でプレー。里見は六番か七番を打った。
コロナ禍明けの2022年の夏の全国出場時は3年生(写真上=マスクが里見)。5年生となった昨夏の全国大会は遊撃守備でもチームに貢献(写真下)
迎えた2025年の1月。新6年生の里見を、名将はこのように評価していた。
「ちょっと前に肩をケガしてしまって、センターを守らせて投げないようにしてるんですけど、外野になったらなったで、また抜群にうまい。何でも捕りよる。あの守備力は外せないですね」
そして今回の紹介記事を書くにあたり、あらためてコメントをもらうと――。
「投力も打力も平均以上。3段階の球速で頭の良いピッチングをするし、バッターでは今、一番信頼がある。どのボールに対しても対応して広角に打ち返せる。でも一番抜けているのは、ショートの守備力ですね。打球への反応なんかは中学生より上ですよ。どんなイレギュラーバウンドも、ギリギリで反応して横で捕ったり、後ろで捕ったりするし、肩も強い。三遊間の打球もほぼ追いつくし。今年は内野でダブルプレーを取るのが、チームのひとつ形になると思います」(辻監督)
「将来はドジャースの大谷(翔平)選手みたいになりたい。守備は西武の源田(壮亮)選手みたいな、捕る完璧さと送球を身につけたいです」(里見)
要するに、里見のこれまでの躍進は、非凡な守備力があればこそ。残念ながら、その最大武器をプレー動画にはほぼ収められていないが、今夏の全国舞台とその予選で存分に披露してくれることだろう。
「去年の全国大会は楽しかったけど、もっとやれたと思います。ボクもチャンスで打てなかったり…。3回戦で負けてしまったから、今年は優勝を目指していきたいです。そのために、これから守備をもっと完璧にして、バッティングももっと磨いて、チャンスで絶対に打てるようになりたいです」
父は大学までプレー
里見は三兄妹の真ん中。2歳上の兄に続いて就学と同時に、地元・湖南市の学童チームで野球を始めた。人よりも上達が早く、「全国大会に行けるような強いチームでやりたい」(里見)という野望が自ずと芽生えて、体験入部を経て多賀へ移籍した。
「多賀はみんなうまいし、楽しくやっていて、指導もいろいろしてもらえたので入りました。自分たちの学年は面白い子が多いのと、バッティングが良いところが特長だと思います」
身長は140㎝台の半ば。驚く球速ではないが、整ったフォームで制球力もマウンド度胸も満点
里見の父・佳祐さんは、甲子園に初夏計10回出場の鳥取・境高から、日本文理大までプレーした。大学の同期には、オリックスにドライチで入団した古川秀一(現打撃投手)ら2人の元プロもいる。「多賀に来て良かった」と口をそろえる父子だが、父はその理由をこう語る。
「ボクは野球人生の中でも学童が一番大事だと思っています。特に投げ方、打ち方は年齢が上がるほど、なかなか修正できないところがあるので。多賀ではそういう面もきっちりと習得できますし、指示される前に自分たちで考えてやるところなんかは、大学野球にも通じるものがあると感じています」(佳祐さん)
里見家の第3子の長女は野球に見向きもしないという。地元の学童チームを卒団した長男は中学生の途中で野球をやめて、現在はバスケットボール部でプレーしている。
「ちょっと残念ですけど、本人がやりたいことをやるのが一番かなと思います」
そんな父だから、次男坊の里見にも逐一の強制やスパルタ的な指導はしてこなかったという。
「低学年の何もわからないうちは、ある程度の導きはしましたけど、最近は子離れじゃないけど、ある程度は距離をとって自分で考えてやりなさい、というスタンスです」(佳祐さん)
マイナスをプラスに
守備力で台頭してきた里見にとって、肩を痛めたことは気持ちの上でも痛手だった。きれいな投げ方をしており、肘のトラブルには縁がない。だが、腕がよく振れる分、肩のほうが負担に耐え切れなくなってしまったようだ。
診断の結果、骨が伸長していく際の軟骨部にある「骨端線」に異常が認められ、担当医からノースローを命じられたのが昨年の末。
里見父子はすぐさま、辻監督の自宅へ出向いて事情を説明した。そのときの父子の熱量に、名将もたじろいだという。
「家まで訪ねて来はったのが、まず驚きでした。早く治すには、動かず何もしないのが一番。私がそう言おうと思ったら、間髪入れずに『やれることをやります!』と。フォームもきれいでケガのなかった子ですから、ショックやったと思いますけど、『打ったり走ったりはやる!』と言うので、1月の東京遠征にも連れていったんです」(辻監督)
先述の通り、その後の里見は中堅守備の捕るほうで大活躍。東京遠征時は、10~20mまでの送球を医師から許可されており、中堅や二塁を守りつつ、バットヘッドが猛烈に走る打撃でも存在感を示した。元気満々ではなかったが、自宅でも大人しいタイプという彼は、こう話している。
「年末年始はずっと家の周りを走っていました。今も毎日30分くらい、思い切り走っています。あとは素振りをしたり、ストレッチをしたり」
肩を痛めた当初は、相当に悔しかったという。そんな里見に対して、父はこういう助言をしたそうだ。
「肩が痛くなったことはマイナスじゃない。治ってまた投げられるようになったときにプラスになっているように、何ができるか考えてみてほしい」
肩も完治した現在、里見はマウンドでも生き生きとしているという。日々、走り込みつつ、外野の中央から広い視野で野球を見てきたことは、本職の遊撃守備に戻っても判断や予測の速さ、守備範囲の広さになどにつながっているようだ。
「外野は外野で育ってきている子がまたいてるんですけど、里見はショートかピッチャーか。これは大きな武器ですから、外せませんね」(辻監督)
ケガをプラスに転じさせたのは、間違いないだろう。当初からそれを願っていた父の、さらなる願いを最後に里見本人へ届けよう。
「全国出場と全国優勝はみんなが目指しているところだけど、去年の全国を同級生の岡本(律希)クンと高井(一輝)クンの3人で経験しているところもあるので、みんなを引っ張ったり、助けたり、声を掛けたり。そういう一歩、野球人として成長しているところが見られたらうれしいなと思っています」(佳祐さん)
(動画&写真&文=大久保克哉)