岡山の“スマイル王子”。35期目「最強世代」を三刀流で全国へとリード

2025.04.02注目戦士
岡山の“スマイル王子”。35期目「最強世代」を三刀流で全国へとリード

2025注目の逸材】

くらなが・はやと

倉永 隼

[岡山/6年]

一宮ウイングス

※プレー動画➡こちら

【ポジション】投手、遊撃手

【主な打順】一番

【投打】右投右打

【身長体重】15444

【好きなプロ野球選手】大谷翔平(ドジャース)、坂本勇人(巨人)

2025年4月1日現在

「全国」を名乗る学童野球の大会は、今日では相当数ある。一方、4年生以下の全国規模の大会は皆無で、多くは各都道府県下で行われている。こうした中で最大規模となるのは、「西日本大会」とも呼ばれている「佐藤薬品工業旗近畿学童軟式野球4年生大会」だろう。

3年生の3月に閃光

 開催地は奈良県で、第1回大会は2017年。近畿2府5県に四国の徳島県を加えた16チームでトーナメント戦と交流戦が行われた。2019年から東海2県と中国・四国に枠が広がり、コロナ禍の中止を経て2022年の第6回大会で復活。現在も正式な大会名に「近畿」とあるが、近畿・中国・四国・東海(岐阜・三重)の4ブロックの「4年生以下No.1」を決する大会として定着してきている。

 岡山県の一宮ウイングスは、2023年の第7回大会で初出場し、1回戦を突破した。2回戦では、優勝することになる多賀少年野球クラブ(滋賀)に1対7で敗北。また、その半年前には多賀グリーンカップで準優勝(=上写真)しており、決勝で敗れた相手が同じく多賀だった。

 3年生が主役の多賀グリーンカップは、先の週末に第21回大会を開催したばかり。罵声怒声をいち早く禁じた大会としても知られ、保護者も指導者も自ずと笑顔になって野球の幸せを享受する。この“ハッピーワールド”の3年生大会は東北や東京や岡山へも広がっているが、日本一3回の多賀が主催する本家の大会で2年前に、飛び切りの笑顔とパフォーマンスを見せていた一人が倉永隼だった。

2023年3月25日、多賀グリーンカップ。倉永(上)は攻守で輝き、久成監督(下中央)が率いるチームは準優勝。選手も保護者も底抜けに明るかった

 攻守両面で躍動感と華がうかがえる倉永は、何より楽しそう。遊撃の守りは3年生とは思えないほど、広くて巧み。右打席でのスイングは鋭く、長打も複数あった。

 折しも、WBCで侍ジャパンが世界一に返り咲いた直後とあって、塁上での“ペッパーミル”パフォーマンスが大流行する中、倉永はメキシコ代表・アロサレーナ(マリナーズ)の“腕組&ドヤ顔”パフォーマンスも披露。それがまたつくづく絵になっていた(=下写真)。

「4年生までに久成監督から野球の基礎と楽しさを教えてもらいました。あとは一塁まで全力走とか、当たり前のことを当たり前にやること」

「本気の遊び」に夢中

 あれから2年が経過した今も、大好きな野球を満喫しているようだ。5・6年生チームを率いる本井健太監督は、倉永のプレースタイルを「本気の遊び」と表現した。

「子どもらしい子ども。彼にとって野球は遊びというか、ホントに楽しんでいるんだと思います。緊張する場面では緊張もしているんでしょうけど、基本的にニコニコしていて、ココというときにはパッと判断して動くこともできる」

 投手と遊撃手と一番打者の三刀流、そのいずれにおいても輝ける逸材。指導キャリア15年の指揮官にとっても、間違いなく5本の指に入るという。

「すべてに良いものを持っているんですけど、バッティングのレベルは相当に高い。緩急も苦にせず、どの方向にも打ち返しますから。ショートの守備も絶対的な信頼がありますし、ピッチャーとしてもこのところ活躍の場を広げているので、楽しいと感じていると思います」(本井監督)

サク越え連発はないが、苦手や穴もない打撃。出塁率も高い不動の一番バッターだ

 オマケにあの笑顔が好感度を引き上げる。将来は「プロ野球選手」という夢が叶えば、たちまちに人気者となりそうだ。あるいは今年の夏に全国デビューし、年末の夢の祭典(NPB12球団ジュニアトーナメント)で、早くも知名度が爆上がりすることになるかもしれない。

「今年は阪神タイガースジュニアに入ることも、個人の目標にしています」

BIG!な贈りもの

 倉永は6歳上と8歳上の兄2人に続く三男坊の末っ子。兄たちは小学校でソフトボール、中学校で野球を始め、倉永は3歳あたりから野球に興じた。最も古くて鮮明な野球関係の記憶は、週末に兄の中学野球の応援に行って遊んでもらっていたことだという。

 小学1年生で一宮ウイングスに入団。子どもにも大人にも慕われる、低学年チームの久成康博監督の下、めきめきと上達していった。

典型的な親分肌の稲葉主将が低学年時代からチームをけん引。倉永とともに世代を代表するタレントだ(写真は2年前の多賀グリーンカップ)

「低学年ではずっとショートで、たまにピッチャーもやる感じでした。野球は全部好きですけど、一番好きなのはショート。ゲッツーを取ったり、ファインプレーでみんなと喜べたりするので」

 自主練習でも打撃のほか、ゴロ捕球からの一塁スローを徹底的に反復。スリークォーター気味の投球フォームは、遊撃守備の延長線で自然に身についたものだと指摘するのは、父・大作さんだ。現役時代は順大までプレーし、社会人ではソフトボールのクラブチームで国体にも出場。息子のチームでは学年コーチで、現在も背番号28をつけている。

「ハヤトはショートが大好きで、ずっとその練習をしてきよったので、あの角度で投げることが多い。それをピッチャーでは無理にヒジを上げて投げ下ろせとか、そういう指導は私もしよらんけ。本人に負担なく、投げやすいのが一番ええと思っています」

 毎日の自主練習をサポートしている父は昨年1月、三男坊にビッグな贈りものをした。祖父母も暮らす敷地内に、打撃・投球・守備練習が可能な「鳥かご」を建てたのだ。

「あの子は好きなことをずっとやり続ける子じゃないかなと思っていまして。試合での失敗や、できなかったことも練習してできるようになりたいという思いがあるじゃろうし、チームの他の子も練習させてあげたいなと思って」(大作さん)

 骨組みの単管パイプは業者に組んでもらい、あとのネット貼りや照明などは手作業で。そして完成した「鳥かご」で、倉永父子は毎日練習しており、週に2日ほどはチームメイトもやってきて守備練習も。大学でソフトボールをする兄たちが手伝ってくれることもあるが、主体性はあくまでも倉永にある。そんな三男坊の未来に、父が期待することとは。

「野球をやるんだったら、長くやってほしいなと思っています。やっぱり、自分の中で得意技を一つくらいは持って大人になってほしいので。自分も40歳過ぎまでソフトをやりましたけど、お爺ちゃんになっても野球に接していくような、そういう生き方をしてもらえたら幸せかなと思っています」

まさかの予選敗退から

 4年時に岡山王者となって西日本大会に出場したほか、県下の主要大会をほぼ総なめにしてきた。そんな倉永らは内外から「最強世代」とも言われている。チームは創立34年目の昨年度に「冬の神宮」ポップアスリートカップ全国ファイナルに初出場。35年目の今年度は、チームの悲願である「小学生の甲子園」全日本学童マクドナルド・トーナメント初出場が大命題だ。

 最強世代の6年生11人も当然、それを自負しており、倉永は「全国制覇が目標です。1月の必勝祈願でもそれをお願いしました」ときっぱり。率いる本井監督もその気だ。

「今年は十分に狙える世代だと思います。何とか、マクド(全日本学童)に連れていってあげたいですね」

 低学年からの段階的な育成システムと、個々に考えて対話をしながらの野球がチームの伝統。総じてハイレベルな最強世代の高い評判はこの2年でも変わらないが、新チームとしての船出は暗雲も立ち込めた。昨秋の新人戦で、まさかの予選敗退で県大会に進めなかったのだ。

「自分たちは仲が良くて元気があって、面白いチームなんですけど、新人戦のときはちょっとのミスをそのまま流したり、団結力が足りなかったかな、と。油断? あったかもしれません」(倉永)

 活動する岡山市は、全国区の強豪も複数いる激戦区。新人戦の地区代表決定戦で2対8と苦杯をなめさせられた相手、当新田学童軟式野球クラブも夏の2大全国大会に出場実績がある。その強敵の緩急のピッチングを前に、一宮打線はふるわなかったという。ただし、本井監督はこうも語っている。

「高学年で野球が複雑になる中で、守りに関してはずっと県内トップレベルだと思います。でも、攻撃面では戦術をひと通り覚えて実戦での引き出しを増やすには、5年生の9月(新人戦)では、ぜんぜん間に合わない部分もあるんです」

 秋から冬も超えて、現在は戦術面も浸透。ベンチも選手も自ずと同じ絵を描けるようになってきたという。新年を迎えてからは取りこぼしもなく、すでに2大会を制している。

「キャプテンの稲葉(悠)と倉永が軸なのは変わりません。新人戦ではこの2人に、他の子が頼り切ってしまう面がありましたけど、今は全員が自立してできるようになっていると感じています」(同監督)

稲葉主将(下)が投げて、遊撃の倉永が守備を統率する。これも「最強世代」のひとつのパターンだ

 選手11人のうち8人が登板可能という中でも、「剛」の稲葉主将(=上写真)と「柔」の倉永の、右腕2本柱がやはり抜けた存在。倉永はスリークォーターからの独特の角度のある速球が、アベレージで100㎞台に。強力打線を力で封じ込めるようになってきたという。

 8月の新潟へと続く全国予選は、この4月の第2週から始まる。満を持して向かう倉永は、自身の役割と決意をあらためて熱く語った。

「先発した試合は70球まで投げ切ることができるようになってきたので、これからもゲームメイクできるように。キャプテンの稲葉クンだけでは勝ち抜いていけないと思うので、ピッチャーもそうですけど、打線の切り込み隊長としてどんどん打って塁に出て、チームに貢献したいと思います」

(動画&写真&文=大久保克哉)

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