【2025注目の逸材】
いしつか・たくみ
石塚 匠
[茨城/新6年]
くきざき
茎崎ファイターズ
※プレー動画➡こちら
【ポジション】遊撃手、投手
【主な打順】一番、三番
【投打】右投左打
【身長体重】148㎝38㎏
【好きなプロ野球選手】イチロー(元マリナーズほか)、源田壮亮(西武)、近藤健介(ソフトバンク)※2025年3月1日現在
「6年生が少ないというのは、指導者の言い訳だと思っています」
全国大会に2ケタ出場、2019年には全国準優勝している茎崎ファイターズの吉田祐司監督が持論を語ったのは、2年前の2023年2月。新6年生は6人ながら、フィールドフォースカップで5年ぶり2回目の優勝を果たしたときだった。
名将もぞっこん3年坊
同日の朝、試合場に現れた名将がこのように口火を切ったのも印象的だった。
「ウチに楽しみな3年生(新4年生)がいるんですよ。背番号6の子。トップバッターでショートを守らせているんですけど、抜群ですね」
それが2年前の石塚匠だった。試合前のシートノックでは、上級生たちも顔負けのグラブさばきを披露。決勝では右中間に逆転タイムリーを放つなど、指揮官の評価に偽りのないことを実証した。
2023年2月のフィールドフォースカップ最終日、3年生(当時)とは思えぬパフォーマンスを攻守で披露した
名門の“スーパー3年生”は、その後も一番・遊撃の座を揺るぎのないものとし、1年後のフィールドフォースカップ決勝ではサク越えの同点ソロを放っている。さらには夏の全日本学童予選の茨城大会でも2連覇に貢献と、順調に育ってきて学童ラストイヤーを迎えている。
「一昨年と去年は全国大会の初戦で負けているので、今年は全国優勝したい。チームで必勝祈願したときにも、そういうお願いをしました」
2年連続の全国出場にも寄与。上2枚は4年時の県大会決勝(2023年6月)。下2枚は1年後の5年時
新チームからマウンドに立つことも多くなり、1月末の関西遠征では完全試合の快投も演じた。それも相手が、昨夏の全国準Vなど全国区の強豪・北ナニワハヤテタイガース(兵庫)だったから、自信にならないわけがない。
「キャッチャーのミットにしっかり投げ込むことを意識して、結果として6イニング打者18人を完全に抑えられました。良いバッターのときは力で抑えて、下位打線とかは周りに打たせたり、そういう調整はしていました」
昨秋の新人戦では最速92㎞。驚くような速球派ではないが、緩急でコースを突きながらの投球で、10月の県大会決勝は4回1安打完封勝ち。翌11月の関東大会(ベスト4)では速球のアベレージが90㎞台に上がっていた。
またその後、佐々木亘コーチと取り組んでいる、フォーム改良の成果も出てきているようだ。
「練習試合とかで試しなら完全に自分のものにして、コントロールも良くて球も速い、ちゃんと信頼されるピッチャーになりたいです」
遊撃守備にも細部に課題はある。それでもワンミスで失点というピンチや、強風で土ぼこりが激しく舞い上がる中でも、乱れることのない送球は頼もしい限り。夢はメジャーリーガーになることだと即答した。
「将来はイチロー選手(元マリナーズほか)みたいになりたい。オレ的には、ピッチャーもできて野手もバッターもできて声も出る。四刀流? そうですね(笑)」
土曜朝が憂鬱な時期も
石塚は一人っ子ゆえか、食べるのが遅くて両親によく注意されるという。食事とは本来は生きる喜びであり、ゆっくりと味を楽しむのは悪いことではないし、むしろ幸せではないか。そう指摘すると、飯塚は親の肩を持つようにこう遮った。
「いや、オレの場合はゆっくりというより、めっちゃ遅すぎるんです! だから怒られるのも仕方ない」
理髪店を営む両親は不定休で、土日も働いていることが多い。全国大会やその予選など大切な試合を除けば、夫婦そろっての観戦は稀だという。でもその分、平日の自主練習をサポートしてもらっており、今年も当然、両親を全国舞台に連れていくという気構えで過ごしている。
「平日はだいたい毎日練習していて、お母さんにティーのトスを上げてもらったり、お父さんと球場まで走ったり、そこでノックをしてもらったり、打たせてもらったり。自分だけのときは、チームで教えてもらったことを意識しながら素振りとかをしています」
3年生から“スーパー”であり続ける陰にはやはり、相応の努力と親のサポートがあるのだ。ただし、3年生になって名門のAチームに特進した当初は、後ろ向きな気持ちも芽生えていたと振り返る。
「今も優しいことはないけど、3年生のときはAチームの指導者がちょっと怖く感じていて…。あとは練習試合の相手チームも体がデカくて打球も速かったりして、土曜日の朝になると『行きたくないな』と言ってました。でも行くしかなくて…」
そのあたりは満10歳の当事者の身にならないと、わからない心境だろう。自らにムチを打つことができたのは、己の意志で名門チームに加わったことが大きかったのかもしれない。
看板選手だがバットを振り回すだけではない。状況に応じて走者を助ける空振りや、自ら生きるバントも
「もっと勝ちたいと思って、2年生の春に茎崎に入りました」
それまでは地元のチームで、年長時から白球を追っていたという。野球に目覚めたのは、親戚らと千葉マリンスタジアムでプロ野球のロッテ対中日を観戦したことだった。
「オレはロッテが好きで、特に外国人選手のレアードとマーチンが好きでした。楽しそうだなと思って、友達に誘われて近所のチームに入りました」
やがて平日は野球スクールにも通い、そこで茎崎の選手と知り合う。そして全国大会と全国区の強豪チームの存在も知るところとなり、両親に懇願して移籍した。
新天地に来ても、石塚の腕前は同級生の中でも抜けていた。当時はまた平日もチーム練習があったことで、めきめきと上達して3年生から3学年上のAチームへ。
「3年生の冬くらいからAチームにも慣れてきて、4年生になってからはもう、試合では自分のやりたいように楽しくのびのびとできるようになりました」
ワンマンチームを回避
傍目で見るほど、石塚の歩みは順風満帆ではなかったのかもしれない。上級生になると、身体の発達が早い選手が目立つようにもなってくる。そういう中で、石塚のパフォーマンスに首脳陣が歯がゆさを感じていた面もあったようだ。
昨年8月の全国大会と、9月のGasOneカップ(東日本大会)が終わり、新チームが本格的に始動しても石塚は背番号6のままだった。4年夏の全国初戦では先頭打者ヒットなど、新6年生11人の中でキャリアも実績も断トツなのは間違いない。しかし、際立つ一人を端から主将とすることに、名将はためらいがあったと打ち明ける。
「石塚はずっとショートのレギュラーを張ってきましたし、最後の1年というのも分かっています。でも、新人戦のメンバーを登録するときに、石塚をキャプテンにするとアイツのチームになってしまうと感じたんです。石塚がダメだったときにチームも共倒れしてしまう、と」(吉田監督)
昨年までは一般用の複合型バットで長打も頻繁に(上写真)。同バット禁止の今年は「シングルヒットを狙って、しっかり芯でボールを捉えるように。その結果、たまたまホームランになったくらいがいいのかなと」(下写真)
二塁を守る渡部竜矢が、弁も立つリーダータイプだったことも理由のひとつだった。新チームで県大会を制したときに、渡部主将は就任時の様子をこう話している。
「一人でいたときに監督から『キャプテンよろしくね』と言われて、『任せてください!』と答えました。やりたかったので、めっちゃうれしかったです」
一方の石塚については、反省と奮起を促す狙いもあったと指揮官は語る。
「一人っ子のせいだけにしちゃいけないけど、まだまだ甘いというか、自分のことで一杯いっぱいな感じもあったんですよ。全国大会もガスワンも、不甲斐ないピッチングをして四死球で試合を壊しちゃうようなところもあって。もっとアイツ自身が強くならないと、チーム力も上がらない、と…」(吉田監督)
そういう意図が直接に本人に伝えられたかどうかは定かでない。だが、指揮官の思惑通り、“元スーパー3年生”は新人戦で面目躍如の活躍を遂げた。
県決勝は先述のように1安打完封のほか、右中間三塁打など3打席すべてに出塁してホームを踏んだ。続く関東大会1回戦では千葉県のライバル、豊上ジュニアーズを相手に4回1/3を投げて2失点とゲームメイクし、5対3の勝利に貢献した。これには指揮官も及第点を与えている。
「元々がピッチャーじゃないし、打たせて取るタイプなんですけど、徐々に球も速くなってきている。今日(関東1回戦)に関しては、インコースの速いボールが良かったですね。手先が器用なので、自分でコントロールできる。それもやり過ぎると、腕が振れなくなっちゃうのでダメだと伝えているんですけど」(吉田監督)
迎えた2025年。溌剌とした表情とよく通る声で、試合中も仲間たちを鼓舞したり、準備を促す背番号10がいた。満を持して新主将となった石塚が、吹っ切れたようにこう語った。
「試合中の嫌な雰囲気のときとか、終盤になってみんな静かになってきたときでも、オレは声を出せるし、みんなを出させることもできているのかなと自分では思います。全国大会では自分たちのやるべきことができなくて終わっちゃうというのが2年続いているので、今年は絶対にそうならないようにしたい」
前主将の渡部もピンチの際にバッテリーを鼓舞するなど、何も変わることなくチームに尽くす姿がある(=上写真)。使用できるバットのルールが変わり、背番号10の主が変わっても、茎崎ファイターズの野球と進むべき道は不変なのだ。
(動画&写真&文=大久保克哉)