【2025注目の逸材】
いしい・みゆう
石井心結
[東京/新6年]
カバラホークス
※プレー動画➡こちら
【ポジション】遊撃手、投手
【主な打順】二番
【投打】右投右打
【身長体重】149㎝39㎏
【好きなプロ野球選手】今宮健太(ソフトバンク)
※2025年3月15日現在
※2023年3月公開「注目戦士」(当時4年)➡こちら
下2枚は2年前の3年生2月
体も心も伸び盛り。小学生にとっての「2年」という歳月の重さや密度を感じずにはいられない。
3年生で記者もクギ付けに
日本で唯一の『学童野球専門のデジタル報道メディア』として、当メディアを開設したのが、ちょうど2年前の2023年3月のこと。前例も定型もない「無」からのスタートで、当初はほぼ手探りでコンテンツを製作していった。
オープンに先駆けての同年2月、東京都足立区の低学年大会で、記者の心もつかんだ3年生(新4年生)がいた。背番号34。全国出場の実績もある強豪、カバラホークスの石井心結だった。
捕る・投げる・打つ・走る…すべての動作が基本に忠実で、投げるフォームがとりわけ美しい。野球もよく知っていると見えて、次の展開やその準備を促す仲間への声掛けも適切で丁寧でコンスタント。また、よほど勝ちたいと見えて、攻撃中のベンチでもあちこちと動きながら打者を励まし、次打者にアドバイスをする姿もあった。
何と頼もしいリーダーか。確認するまでもなく、キャプテンだった。深く差し込んでくる、冬の陽光を跳ね返すサングラスもお似合い。そしてそれを外さない限りは、女子であることを部外者に知られる要素がまずなかった。
「東京23区大会と、ジュニアマック(都大会)に出て優勝することが今の目標です。夢は女子プロ野球選手になることです」
おそらく初めて受けただろう取材に対しても、落ち着いた口振りだった。
教科書を見るような動作
あれから2年。石井は身長が15㎝近くも伸びて150㎝の手前まできている。体型と顔立ちは大きく変わっていない。あどけなさが抜けて精悍さを増した感じもするが、前を見据える澄んだ表情は3年生のころのままだ。
また、どの動作も相変わらず、お手本のよう。背番号28のコーチでもある父・弘さんとの朝練も途切れることなく、主体的に続けているという。
写真上は2年前、下は現在
「5年生からは体幹のトレーニングも入れたり、ストレッチとかで体をケアすることもやっています」
そうしたことの成果は、投球フォームからも十分に見て取れる(※プレー動画参照)。
5・6年生になれば、大人と同等の背丈で100㎞や110㎞を投じる投手も珍しくない。未計測という石井のストレートも100㎞前後と思われるが、何より目を引くのはバックスピンが効いたボールの伸び具合。そしてそれを招く腕の振りの強さ、肩回りの柔らかさ、股関節回りの強さだ。これらが調和されたフォームの完成度は、男子も加えた世代でトップクラスと言っていいだろう。
「高めに浮いちゃってフォアボールも多いので、コントロールが課題です」と昨年の時点で話していたが、制球が不安定なのは中速球。全力のストレートは多くが、捕手の構えたミットに吸い込まれていた。
女子プロ選手という夢の到達地点から逆算し、「中学では女子の硬式チームに行きます」と進路をすでに決めている。そんな石井にとっては、生命線のストレートを磨くことが最優先なのかもしれない。父によると、進学する高校名までを家族には明言しているという。その高校はもちろん、女子硬式野球の名門だ。
「先々の方向性も自分で決めて努力をしている。やりたいことに、自分でのめり込んでいる姿は素晴らしいと思いますし、親として私もしっかりしないといけない、という気にさせられます」(弘さん)
打球へのアプローチも処理動作も、基本に忠実。イニング間の練習もこれを反復している
石井は5つ以上も離れた兄と姉がいる末っ子。姉は野球と無縁のまま育ち、石井は自らの強い意思で野球に没頭している。母・園江さんは、あらためてこう語る。
「この2年間でも、私は何も強制したことがありませんし、これからもただただ応援するだけ、見守るだけですね。ミユウは学年が上がるにつれて、野球への情熱も自主練のボリュームもさらに増している感じです」
石井自身が、この2年間で一番の思い出と語るのは4年秋のジュニアマック優勝だ。この大会は『4年生以下の東京No.1』を決めるチャンピオンシップ大会として2018年に始まり、カバラは2023年に初V。このとき、抑えのエースとして胴上げ投手になったのが、背番号10の石井だった。
「試合の最後を締めるのが私の役目で、ちょっと打たれたんですけど、良い球を投げられてそのまま優勝できたので良かったです」
当時のもうひとつの目標としていた東京23区大会はベスト4まで進出。そして5年生になると1学年上のチームにも加わり、昨年6月の全日本学童マクドナルド・トーナメントの予選・東京大会にも出場している(1回戦で抽選負け)。
一転、負の連鎖にハマり
順風満帆どころか、いばらの道。加盟1000チームを超える東京都で4年生の秋に頂点に輝いて以降は、チームも石井も迷走が続いたようだ。
昨秋の新人戦は、都大会の1回戦で姿を消した。準優勝することになる船橋フェニックスに5対7で惜敗。その後も勝ち運に見放される時期が続いた上、「大人用レガシー」(一般用の複合型バット)の使用禁止というルール変更の煽りを、パワーで劣る女子選手の石井はまともに食らったようだ。
それまでは内外野を超えていたはずの打球(手応え)を、野手にキャッチされることが増えてきた。“飛ばないバット”で何とか挽回しようと、もがくほどに、持ち味であったミート力も影を潜め始めてしまう。
またそのジレンマから、守備や投球の安定感にも綻びが生じ、チームも思うように勝てなくなった。こうして、負のサイクルにどっぷりとハマり込んでしまったのだった。
本人はそのあたりの具体的なことや辛苦を口にしないが、低学年時から指導する指揮官は当初から、異変に気付いていたという。そして昨年暮れのある日、あまりにも思いつめた様子の石井に「どうした?」と声を掛けると、鬱積していた感情が涙となって一気にあふれたという。
「彼女にもそういう一面があるんだなって、びっくりしましたね。小さいころからずっとチームの中心で、キャプテンでみんなを引っ張ってきた子ですから。打てなくても、守備とピッチングでカバーできているようにも感じていました。でも、石井は不甲斐ない自分に対する苛立ちとか焦り、チームも結果が出ないことに対する責任とか、いろんなものを背負ってパンパンだったんですね」(斉藤圭佑監督)
明るい兆しと確かな自信
迎えた2025年。石井にもチームにも、明るい兆しがはっきりと見えてきている。
1月末に開幕した京葉首都圏江戸川大会で、2年ぶり5回目の優勝を果たした。久しぶりのタイトル獲得と歓喜で、石井と仲間の何人かは涙。決勝で破った相手が、昨秋の都大会で敗れていた船橋フェニックスだったことで自信をより増したようだ。
「うれし過ぎて涙が出てしまいました。ずっと負けていた相手だったので、次は絶対に勝つぞという気持ちで戦いました。大会中はダイビングキャッチとか、ファインプレーをすることもできて、あとは球際の処理とか、守備で貢献できたかなと思います」
こう振り返る石井は、新年から背番号6の副主将となり、主に二番・遊撃でプレー。肩の荷が少し軽くなり、少し前までの輝きも取り戻しつつある。
キャプテン交代を決めた斉藤監督は、その理由と意図をこのように語る。
「去年1年間をずっと見てきた中で、彼ならチームを引っ張ってくれる、という確信をもって小澤蒼大(二塁手)を新キャプテンに指名しました。石井がダメということでは決してなくて、負担を軽くすることもちょっと考えつつ、経験者の石井ならサポートしてくれるだろうということで副キャプテンに」
すると、どうだ。小澤主将は京葉首都圏大会の準決勝で、勝利を決定づける満塁アーチ。続く決勝では2打席連続アーチで優勝の立役者に。また石井のほうは、決勝で先制点の口火となる右前打に二盗も決めている。
「石井の初回のヒットが大きかったですね。あの1本でチーム全体が、ものすごく盛り上がったんですよ。彼女がバッティングでずっと悩んでいたことも、みんな知っていましたから。トンネルを完全に抜けたわけではないと思いますけど、彼女にとってもチームにとっても大きな1本。私にとってもひとつの自信になる優勝でした」(斉藤監督)
カバラホークスは2012年に、全日本学童大会に初出場して1勝。3年後の2015年に2度目の出場を果たし、このときは3回戦まで進出している。
石井は低学年のときから、夏のその夢舞台での全国制覇を目標としており、事あるたびに公言してきた。一方で、学童の女子はNPBガールズトーナメントという全国舞台を目指すこともできるが「本人の堅い意志もあって、ガールズの選抜チームのほうはお断りしました」と、父・弘コーチ。勝手知る仲間たちと、唯一無二の大目標へと突き進んでいる。とうの昔から、彼女にはその自覚があるのだろう。
「みんな肩が強くなったり、スイングが強くなったり、個々の細かいところがレベルアップしてきて、チームの勝負強さもまた出せるようになってきたと思います」
どん底は確実に脱した。乗り越えた困難の分だけ、彼女もチームもきっと強くなっている。「プロ」という将来の夢までを俯瞰してみれば、バットのルール変更に伴う苦悩もプラスでしかあるまい。
石井にとって、男女の隔てがない野球で全力勝負できる時間は、もうそれほど長くない。父親と同じユニフォームを着て、同じフィールドに立てるのも、長くてあと9ヵ月あまり。“野球の申し娘”の集大成は、いかに――。
神前で日本一を誓った初詣の日、引いたおみくじは「吉」だったという。
(動画&写真&文=大久保克哉)