「勝ちにこだわり、結果にはこだわらない」――。この手の理想をSNSなどで目にすることも増えましたが、実行を伴うチームは果たして、どれだけあるでしょうか。栃木県の小山市で活動する賢者のチームは、間違いなくそういう組織でした。選手が数人にまで激減したチームで指揮官を引き受けてから大改革。結果、わずか3年あまりで30人規模に。子どもたちの瑞々しい表情も印象的。監督リレートークの21人目もやはり、“あるべき今と未来へ”の副題にピッタリの指揮官です。
(取材・構成=大久保克哉)
ながしま・ひでたか●1973年、栃木県生まれ。小山市の泉崎学童(現・城東クラブ)で野球を始めて主に投手。小山市立第三中では軟式野球部を2年生の3月に退部して、陸上へ。栃木高、東京理科大を通じてラグビー部で主にフランカーを務めた。卒業後は公務員となり、一時は宮城県に転勤となる。2011年3月の東日本大震災後に、一家で地元の小山市へ転居。2女2男の子宝に恵まれ、長女は犬塚育成会のソフトボールでプレー。2016年から同育成会の野球(犬塚学童)に次女と長男が入り、コロナ禍の2020年9月にコーチとなる。2年後の2022年9月、監督就任を機に地域に応援されるチームを目指して、指導法や運営面の大改革に着手。一時は7人まで激減したチームに再び選手が集まり始め、6年生6人が卒団した現在は5年以下30人で活動している
[栃木・犬塚学童]
長嶋英孝
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酒巻祐樹
さかまき・ゆうき●1989年、栃木県生まれ。栃木市の千塚学童野球部で3年生から野球を始めて主に投手。栃木市立吹上中の軟式野球部では全国区の名将・板倉茂樹監督の薫陶を受けて三番・投手で活躍し、国学院栃木高へ。1年春からメンバーに入り、夏に二塁手で県準V。3年春は三塁手で県大会を制し、関東大会出場。高校最後の夏は県4強止まりも、県大会MVPと首位打者に輝いた。卒業後は地元の大手機械メーカーに就職し、社会人軟式で全国大会に出場。新5年生の長男が1年生だった2021年に親子で羽川学童野球に入り、1年間の父親コーチを経て2022年春から監督に。「子どもも保護者も楽しいチームづくり」に乗り出し、就任時は選手7人だったチームを現在は30人規模まで回復させている。新3年生の長女もチームに在籍
ペップトークの効果
打席の選手に対して「絶対に高めは振るなよ!」という厳命と、「低めを狙っていこう!」という指示。どちらも求めていることは同じですが、受け取る子どもの側には大きな違いがあるものです。
「~するな!」という強い打ち消しを伴う命令は、過度な緊張や混乱、後ろ向きな気持ちを招きやすい。一方、それを「~しよう!」というシンプルで明確な言葉に変換すると、子どもでも戸惑うことはまずないでしょう。
その違いが打席の結果にどこまで関与するのかはわかりません。でも、試合を重ねるにつれて、子どもの表情や心持ちに違いが生まれるはずです。またそれが1年、2年と積み重なると、向上心や積極性の差となって見え隠れすることも十分にあると思います。
新チームの主将は9月から1カ月交代で経験した後、年末に選手だけの話し合いで決定(上)。報告を受けた指揮官は「キャプテンは一番偉いわけじゃないからな。他の子も手下じゃないし、協力してな。みんなで優勝するぞ!」と念押し(下)
短い言葉でのポジティブな伝達「ペップトーク」とともに、対子どものコミュニケーションや言葉掛けの大切さを私が学んだのは、コーチに就任して間もないころ。世界はちょうど、コロナ禍にありました。指導陣は現在も、否定する言葉の使用を避け、やるべきことや、してほしいことをシンプルに伝える努力をしています。
私は指導者となって以来、試合中に怒ったことはありません。大きな声は出ますが、それは指示を伝えるための手段。言葉掛けの内容については今でも反省の日々ですが、とにかく何よりも追求しているのは、「子どもたちのストレスフリー」。打席に入ったとき、守備に就いたとき、マウンドに立つとき…大人からの発信でストレスを与えることのないように注意をしています。
ストレスフリーをいかに
もちろん、勝ちにはこだわります。勝つためにこそ、子どもは練習で努力をするし、指導陣も考えたり、模索をしたりする。ただし、留意しないといけないのは、大人は無意識のうちに子どもに対して理不尽な言動をしがちであるということ。
「ストレスフリー」=「ノールール」ではない。練習中はどの顔も真剣だ
例えば、攻撃のチャンスでショート後方にフライが上がったとします。それがテキサス安打になることがあれば、遊飛で終わることもあるでしょう。
その結果を決めているものは何かといえば、「運」でしかない、というのが私の持論です。ヒットか否かを左右する、バットの反発力や守る相手の陣形・能力は、自分(打者)ではどうにもなりません。つまりは「運」ということで、野球にはこれがつきものなんです。
にもかかわらず、ポテンヒットで得点すれば大喜びして、ショートフライなら「(打球を)上げるんじゃねえよ!」と怒鳴る。そういう大人は学童に限らず、野球界にとても多いと思います。
コーチ陣は潤沢な経験と情熱を、前向きな言葉に置き換えながら練習を主導している
私が監督になってからの犬塚学童では、大人たちは結果で一喜一憂せず、勝っても負けても覚悟をもって受け入れることを全員に求めています。野球経験者の父親も多いですが、親睦会では自分たち大人が見方・考え方・アプローチを変えることの必要性を、私からこんこんと説くこともあります。
だからといって、私は教祖様ではありません。「監督」という肩書きにものを言わせて、万事を意のままとして悦に入るような“裸の王様”にもなりたくありません。毎回の練習メニューは、2人のコーチ主導で決まります。対外試合のオーダーも、コーチ陣からの提案を私が承認する流れ。時には多少の変更も依頼しますが、私は低学年のほうにも目を届かせたいこともあって、信頼するするコーチ陣に託している部分も大いにあるのです。
練習メニューは前日までに決まっているが、当日も指導陣のコミュニケーションが密
そういう中で、野球に関するアドバイスや練習法のアイデアをくださったりするのが、大平南中央クラブの生井(康雄)さん。私にバトンを託してくれた監督です。
真心にも支えられながら
互いのチームのスタッフ同士が知り合いという縁から、練習試合をさせていただいたのがお付き合いの始まり。生井さんは私より10歳近く上なんですが、いつどこでお会いしても気さくに接してくれます。私も初対面のときから、親身にいろいろと話をいただいてきました。
練習試合は年に2、3回する程度ですが、新チーム始動時など節目でまず対戦したいチームのひとつが、生井さんの大平南中央クラブ。互いに市の予選を勝ち抜いて県大会に出た際には、開会式で最初にご挨拶にうかがうのが生井さんだったりします。
私がチームの正式な指導者になったとき、選手は7人しかいませんでした。そういう弱小チームが相手でも、生井さんは決して気を抜いたり、横柄になられたりしない。何しろ、この企画コーナーで私を紹介するにあたり、自ら足を運んでご説明をいただいたくらい、真心のこもったお人柄。頭が下がるばかりです。
犬塚学童のホームページより https://www.ikz.jp/hp/41592/
私が指導者になってまず取り組んだのが、ブレることのない「チーム方針」(=上写真)の確立でした。冒頭から書いてきたのも、その具体的なところです。あとは母親の負担と、根拠や目的のあいまいなルールや作法などをすべてリセット。そして「子どものストレスフリー」のために真に必要なものを残しつつ、新たなものを採り入れていきました。
チームはまた、小山市内の2000世帯から成る自治会が運営の「犬塚子ども会育成会」からの、少なからぬ支援も受けています。私の就任以降は、その育成会のイベントやボランティア活動にも積極的に参加。地域に愛されるチームとなってきていることはその後、子どもが30人を超えるまでに回復していることからもうかがえるかと思います。
「ウチは腹八分目の野球で、キミたちの心に余白を残します。その余白で友だちとゲームしたり、遊んでもいいし、勉強や習い事をしてもいいし、何もしなくてもいい」
体験入部の子どもには必ず、私からそのような説明もします。学童野球はあくまでも通過点。6年生になると「最後の年だから…」となりがちですが、長い野球人生でみれば、途中に過ぎない。ですから、オーバーユースの回避や肘の定期検診などケガ予防にも務め、中学野球に万全で送り出してやる。これも私たち指導者の役目だと考えています。
グラウンドに父親の姿が多いのもチームの特長。選手と同じく生き生きとしている
学童を完走する意義
思えば、今につながる私のコーチングやチームマネジメントの出発点は、8年前の2017年の夏。当時6年生で、犬塚学童を卒団したばかりの次女からの、突然のこういう宣告でした。
「もう野球もソフトボールも、絶対にやらないから!」
当時の私は、お手伝い程度の父親コーチでした。次女は1年生からソフトボールを始め、5年生から卒団するまでは犬塚学童で野球をしており、家では父子で練習をしてきました。でも私は、愛娘がそこまで追い詰められていたことに気付いてやれませんでした。そういう自分を深く恥じ、悔いましたが状況はすぐに変わるものではありません。
彼女はその後、中学生になるまでの約半年間は週末は自宅にこもったまま。父親として私が悩める中で出会ったのが、現在は「野球講演家」として活動されている年中夢球さんでした。講演会に足を運んでから同氏とのお付き合いが始まり、何かにつけて学ばせていただいています。
「自分は写真や動画を撮るために、このチームにいてもいいくらい。SNSでの発信はグラウンドに来られない保護者への報告でもあり、各々の思い出にしてもらえたら」(長嶋監督)
ちなみに次女は、中学で自らまたソフトボールを始めてくれました。そのときに痛感したのは、子どもたちにとっての「心の余白」の尊さ。自分を見つめ直す時間や、心の充電をする時間が不可欠である、ということでした。
また、年中夢球さんの話をウチの保護者たちにもどうしても聞いてもらいたいと思って、栃木にお招きしました。そのときの講演会に外部から来てくれたのが、羽川学童野球部の監督になって間もなかった酒巻(祐樹)さん。私からこのコーナーで紹介する次の監督は、この人です。
グラウンドの整備や道具の片づけは選手たちで。大人が先回りして指図することはない
酒巻さんはまだ35歳と若く、野球の腕前も相当なのですが、非常に熱心な勉強家。私のところにも週に2回、3回は電話があります。
「親が野球未経験者で伸び悩んでいる子がいるんですけど、どうしたらいいですかね?」とか、「今、コーチングのためにこういう本を読んでいるんです」など。私と同じく、子どものストレスフリーを目指している指導者なので、放ってはおけないし、そういう人に頼られるのは光栄だと思っています。
どこまで参考になるのかわかりませんが、私からは過去のしくじり話と教訓を彼に伝えることが多いです。監督就任時の境遇にも私と共通点があって、酒巻さんも確か、選手数人からスタート。それが今では、6年生が卒団した夏以降も25人くらいの規模を維持されている。
年齢は私がひと回り以上も上。改めてメッセージとなると小恥ずかしいところもありますが、以下を酒巻さんへ送ります。
お互いに、勝ちにはこだわり、結果にはこだわらず。子どもたちをストレスフリーにしながら、楽しく学童野球を完走させてあげましょう!