【準々決勝❶/神宮】勝ち残り3/4が関西勢に!写真ダイジェスト&グッドルーザー

2024.08.28リポート2024
【準々決勝❶/神宮】勝ち残り3/4が関西勢に!写真ダイジェスト&グッドルーザー

 高円宮賜杯第44回全日本学童軟式野球大会マクドナルド・トーナメントの準々決勝は8月20日、2会場で行われて4強が出そろった。勝ち残ったうちの3チームは関西勢となったが、聖地「神宮」では新たな風も吹いた。まずは同球場での2試合の写真ダイジェストと、グッドルーザーをお届けしよう。

(写真&文=大久保克哉)

※駒沢球場での準々決勝2試合も、写真ダイジェストで近日中にお届けします

準々決勝

◇8月20日 ◇神宮球場

■第2試合

北ナニワ、北嶋主将が5回完投

北ナニワ北嶋隼士主将(上)は、打たせて取る投球で5回を67球で被安打5の2失点完投。安佐の先発・大深修主将(下)も無失点で立ち上がるも、不慣れな人工芝の簡易マウンドで足をつって2回途中で降板

[広島]13年ぶり2回目

安佐クラブ

 002000=2

 02002 X=4

北ナニワハヤテタイガース

[兵庫]2年連続4回目

※5回時間切れ

【安】大深、中田昊-中田昊、竹内

【北】北嶋-矢之文

二塁打/中田昊(安)、中川、上石、山川、二木、矢之文(北)

1回表、守る北ナニワ三盗阻止でピンチを切り抜ける(上)。その裏、安佐木村隼士がいきなりライトゴロを決め、一死二塁からの右飛でも強肩でタッチアップを許さず(下)

2回裏、北ナニワ中川翔斗(上)と5年生・上石弦(下)の連続二塁打で先制する

先制した北ナニワはなお、一死一、三塁で石橋孝志監督がタイム(上)。直後に山口琉翔の三ゴロで2点目が入る。守る安佐は三塁手・江原佳陽(下)の美技で2回裏を終わらせた

安佐の反撃は3回表。八番・長谷川慎の左前打(上)と一番・江原の右前打(下)などで一死満塁と好機を広げる

3回表一死満塁から、安佐の二番・中田昊輝が中前へ2点タイムリー(下)で同点に

2対2のまま迎えた5回裏。北ナニワは先頭の九番・山川諒(4年)が左へエンタイトル二塁打を放つ(上)

5回裏、北ナニワは4年生に続いて二番・二木正太朗(上)の二塁打で勝ち越し(上)、四番・矢之文太も二塁打(下)で4対2。結果、それが決勝打とダメ押しに

――Good Loser❶――

元鬼軍曹の「逃げるな!」実践。

真っ向勝負で散った安芸の精鋭16戦士

あさ

安佐クラブ

[広島]13年ぶり2回目

ベスト8

 活動拠点は広島市で最も人口が多い安佐南区。プロ野球・広島東洋カープのお膝元でもある。

 ただし、ユニフォームは1980年代から黄金時代を築いた当時の西武ライオンズのビジター版に酷似。濃いめのブルーを基調とした“戦闘服”には、日に焼けた顔が映えて、いかにも強そう。13年前の全国初出場時を知る人は少ないだろうが、当時と変わらない出で立ちだ。

全国初出場の2011年、開会式で神宮を行進した(当時は選手登録20人)

 前回出場時は、1回戦で名門の福島・小名浜少年野球教室に3対5で敗れたが、四番・投手の杉山翔が豪快にサク越えアーチ。その相手投手が現在はDeNAでプレーする西巻賢二で、杉山もカープJr.のほか、社会人・深谷組までプレーしている。

 またその全国初陣で、八番・右翼でスタメン出場した益成輝の父が、その後にコーチから指揮官となってチームを2度目の全国舞台へ導いた。以下は益成貴弘監督の回想だ、

「息子が全国に出た年の12月にコーチになりまして、鬼軍曹と言われてました(笑)。鬼のようなノックと鬼のような檄を飛ばして。ただ、それも愛のあるものでしたし、監督という立場になると役割も変わりますね。時代もまた変わってきていますし」

 試合前のシートノックの指揮官が印象的だった。ベンチ前での整列・挨拶後は、ノックバットを手にゆっくりと本塁方向へ。近くで歩を進めるボール係の5年生の肩に途中で手をやりながら、2人で聖地「神宮」をにこやかに見渡した(=上写真)。

「焦ることない! いつもの自分たちのペースでいい!」

 そういう発言があったわけではないが、一球ずつ丁寧に打ち出される白球がそう語っているようだった。3回に一時同点となる2点タイムリーを放った中田昊輝は、指揮官についてこう語る。

「すごく優しくて、時に厳しく、ちゃんと怒ってくれます。練習はきちっとしているし、試合になったら気持ちよくやらせてくれる監督です」

バックの好守にも助けられながら、2回途中から力投した中田昊には笑顔もよく見られた

 小細工抜きに、正面から堂々と勝負する。これも13年前と同じだった。

 1回戦では18安打14得点で全国1勝を挙げると、2回戦はサヨナラ勝ち。3回戦は初回に打線がつながり、打者10人の5得点で優位に試合を進めた。準々決勝を含む4試合で、送りバントは1個のみだった。

 大深修主将と中田昊の本格派2投手は、速球が主体。ボール3や苦境でも粘投し、四死球から崩れることがなかった。準々決勝は2回途中から好救援の中田昊が、5回裏に二塁打を3本浴びて決勝点を献上。「甘く入ってしまって、自分の思い通りに投げられなかったのが一番悔しい」と右腕は号泣したが、益成監督は納得の表情だった。

「いつも子どもたちに『逃げるな!』と言っていますので。真っ向勝負にいって打たれたのだから、しょうがない」

「もうちょっと打ち合いになるかと予想してましたけど、相手の緩急のピッチングにやられてウチはあまり打てませんでしたね」(益成監督)

 開会式から5日目。体調不良で宿舎に残してきた三好菖斗を、翌日の神宮(準決勝)に連れて来れなくなったのが心残りであり、自分の責任だと指揮官は語った。

 5年生は、6年生の半分以下の5人。古き良きも残す“ばり男前”のチームには、選手もまだまだ集まるだろうし、指揮官ははっきりと神宮で言い残した。

「またこの全国を目指したいですね」

 

■第3試合

2回から毎回得点、初出場の牧野が4強入り

牧野は4番手の鶴岡歩夢がラスト2回を1安打無失点で逃げ切り(上)。宮ノ下(下)は与四死球9や不運もあったが、最後まで前を見て戦った

[奈良]初出場

牧野ジュニアーズ

 03311=8

 00400=4

宮ノ下スポーツ少年団

[鳥取]2年連続2回目

※5回時間切れ

【牧】田中、番匠隼、田中、鶴岡-田仲、田中、田仲

【宮】瀬渡、小林栞、瀬渡、平田-小林栞、瀬渡、小林栞

三塁打/迎井(牧)、中島(宮)

二塁打/倉好(牧)

牧野の守りは、一塁手・番匠隼平のスライディングキャッチ(邪飛)から始まった(上)

2回表、牧野は敵失などから一死二、三塁として、八番・迎井福司が右中間へ三塁打(上)。続く九番・倉吉結真がスクイズを決めて3点を先取した

3回表、宮ノ下小林栞大主将瀬渡遥仁(上)のバッテリーが三振と二盗阻止で併殺を奪う

3回表二死無走者から、四死球などで1点を加えた牧野はなお、九番・倉好の中前打で番匠隼が生還(上)して6対0に。宮ノ下はその裏、敵失などでまず1点、さらに六番・中島奨太(5年)の左中間三塁打(下)で3対6に

4回表、牧野は四球から二盗を決めた二番・坂地隼和が、続く吉岡樹希の左前打(上)で生還(下)して再び突き放す

5回表、宮ノ下は無死一、二塁のピンチで、バントの小飛球を捕った捕手・小林栞主将が二塁送球で併殺を奪う(上)。信岡宜曉監督は敗れたナインを拍手で迎えた(下)

 

――Good Loser❷――

2年連続の全国で躍進。

人気の秘訣はニューカラー

みやのした

宮ノ下スポーツ少年団

[鳥取]2年連続2回目

ベスト8

 昨年から25人に増えたベンチ入りの枠、これを満たしたのは出場51チームのうち8。そのうち、5・6年生だけで編成したのが3チーム。宮ノ下スポーツ少年団は3年生が1人で、あとの24人は4年生以上。これは1年前も同じだった。

 県庁所在地で活動するが、多くの選手が通う宮ノ下小は学年2クラス、津ノ井小はそれ以下だという。つまり、子どもでごった返すような環境ではない。ではなぜ、ここまで組織が大きくなっているのか。準決勝敗退後、選手たちを待ち受ける母親の一人が教えてくれた。

「やっぱり、このチームと、指導者だから人が集まるんだと思います。あとは保護者と選手を含む雰囲気も良いですからね」

準々決勝は火曜日とあって応援席の人数はグンと減ったが、最後まで温かい声援が続いた

 確かに、昔ながらのガツガツもギスギスも、このチームの大人たちからは感じない。フィールドの選手たちは、ミスや与四死球や失点でいちいち俯いたり、恐れがちな視線をベンチに送るようなこともなかった。

「練習は厳しいですよ。でも本番は、いかに気持ちよく試合に臨んでもらうか、なので。そもそも、この神宮(全国大会)に来させてもらっただけで子どもたちに感謝なんですよね。だから、思い切って楽しんでから帰ろうゼ、と」

 こう話した信岡宜曉監督は、守備から戻ってくる選手たちを必ずハイタッチで迎えていた。真剣勝負に身を置く選手たちへ、適宜の短い指示やアドバイスはある。しかし、プレッシャーを上乗せするだけのような言動は皆無だった。

指揮官だけではない。コーチ陣も一様に明るくて前向きだ

 スタメンの4人の5年生たちも気後れしていなかった。昨夏に4年生で全国デビューしていた中島奨太は、準々決勝の6回に左中間へ2点三塁打(=下写真)、三塁守備も安定していた。6年生たちも溌剌としており、左投げの瀬渡遥仁は捕手も遊撃も平然とこなし、準々決勝ではマスクを被っての二盗阻止もあった。

「新人戦からずっと勝てずに、全国へ行けるようなレベルにもなかったんです。でも冬に、必死で自分たちを鍛えて。あとはサウスポーの瀬渡が、前チームの解散で新学期から入ってきてくれて、バッテリーと打線の軸が固まったことが大きかったですね」(信岡監督)

 2年連続で夢舞台に来ても、指揮官は成長を感じたという。初戦の2回戦では群馬・桃ノ木フェニックスと一進一退のゲームを展開。9対9で4回から特別延長となり、三番・小林栞大主将の3ランが決勝打に。続く3回戦(対大阪・都島ライガーズ)は一転、3回まで0対0の緊迫を経て、4回に小林栞主将と瀬渡の連続長打を皮切りに一挙9得点で試合を決めた。

「全国に来て、強いチームを実際に見て研究しながら、子どもたちなりにいろいろやっているところもありました。鳥取を離れてみて、普段から言っている『感謝』にも気付いた部分があると思います」(信岡監督)

 野球界や学童チームの、形骸化した風習や仕来たりにはまるで囚われていない様子。4年前に刷新したポップなユニフォームも、0番から30番台まで個々で好きに決めているという背番号も、斬新な歩みを象徴しているようだった。

 信岡監督は指導歴7年目。長男の時代に1年間チームを率いて以降は、次男の学年でコーチとなり、現チームで自身2度目の監督に。二番・右翼で出場していた5年生の信岡知樹が次男で、おそらく来年度も継続してタクトを振るという。

 楽しいだけで終わらない。この2年の大きな成功体験は、何物にも代えがたい。ホップ、ステップ、ジャンプとばかりに、来年は新潟(全国大会)で表彰台!?

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