第44回全日本学童マクドナルド・トーナメントの埼玉県大会は、他の上部大会の予選を兼ねていない。つまり優勝チームが全国出場権を得るのみ。ファイナル進出をかけた準決勝は、2試合とも逆転また逆転の好勝負となった。まずは全国でも実績のある選抜軍と、創部18年目で躍進してきた単独チームとの第1試合と、特筆すべき敗軍をレポートする。
(写真&文=大久保克哉)
※準決勝第2試合と決勝のリポートは追って掲載します
第3位熊谷ウイングス(熊谷市)
■準決勝1
◇6月8日 ◇おふろcaféハレニワスタジアム熊谷
東松山 11003=5
熊谷ウ 10030=4
※5回時間切れ
【東】朝倉、斎藤-吹野、大島、吹野
【熊】志村、恒木-恒木、石塚
本塁打/石川(東)、井上(熊)
1回表、東松山は三番・石川(5年)が中越え先制ランニング本塁打(上)。その裏、熊谷は三番・石塚が同点タイムリー(下)
全日本学童大会に出場10回、うち3回は準優勝している東松山スポーツ少年団は、東松山市の選抜チーム。2015年以来、9年ぶりの全国出場を期す。
対する熊谷ウイングスは、2007年創部の熊谷市の単独チームだ。2019年には県大会(全日本学童予選)初出場で3回戦まで進出。5年ぶり2回目の今大会はベスト8、さらにベスト4と、チーム最高成績を更新してきた。
東松山は右本格派の朝倉壮大が3回まで被安打1と力投(上)。2回表には一死一、三塁から九番・足立(5年女子)のライトゴロで2対1に(下)
友好関係にあり、練習試合もしているという両チームの戦いは序盤から動いた。
まずは1回表、東松山の三番・石川惺央(5年)が目の覚めるような鋭い弾道の中越えランニング本塁打で先制。その裏、熊谷は二番・恒木結稀主将が四球から盗塁と敵失で三進すると、三番・石塚快偉斗のテキサス安打で同点のホームを踏む。
東松山はまたすぐに突き放した。2回表は、一死から七番・室田颯汰(5年)が右中間へ二塁打。斎藤琉惺が左前打で一、三塁とすると、九番の5年女子・足立欄がバント失敗(ファウル)の直後にライトへきれいに弾き返す。これは熊谷の右翼手・花又宙の好守に阻まれてヒットにはならなかったが、三走が生還するには十分だった。
熊谷は先発の志村(上)、3回から登板の恒木主将(下)が粘り強く投げた
以降はしばらく、1点リードの東松山のペースで進んだ。2回裏には強肩捕手の吹野陽哉主将が二盗を阻み、3回裏には右翼手の斎藤が美技。だが、追加点は奪えそうで奪えない。
熊谷は先発の志村明も、3回から救援した恒木主将も、走者を負ってからの粘投が光っていた。そして4回裏、一気に試合をひっくり返す。
4回裏、熊谷は四番・矢崎の三塁打(上)に続いて、五番・井上が中越えランニング本塁打(下)で3対2と逆転に成功する
一死から四番・矢崎将太が逆方向へ左越え三塁打を放つと、五番・井上竜晟が中越えのランニング2ラン。
「監督に『フルスイングでいけ!』と言われました。とにかく思い切っていったのが良かったと思います。3ベースかなと思って走っていたんですけど、三塁コーチャーが回してくれたのでホームまでかえれました」(井上)
その一発で終わらないあたりも、市予選から接戦を制してきたという、熊谷の強さなのだろう。3対2と逆転して走者がいなくなってから、志村が四球を選んだ際の捕逸で一気に二進する。そして七番・関玲央士(5年)が、右中間へタイムリーで2点差としてみせた。
3対2と逆転した熊谷はなお、関(5年)のタイムリーで2点差に
だが、これで終わらないのは、やはり伝統の選抜軍だ。
直後の5回表、三番・石川から四番・大島輝雅、五番・竹間一輝、そして途中出場の六番・吉田陽斗まで、何と4連続の単打で5対4と再逆点してみせる。熊谷はさならるピンチは、5年生の三塁手・松本優和の好守などで切り抜け、5回裏も長打で逆転サヨナラの場面まで粘ったが、フィニッシュの1本は出なかった。
5回表、東松山は三番の石川(写真上から順)から大島、竹間、六番の吉田まで4連打で、5対4と再逆転して逃げ切った
●熊谷ウイングス・倉田賢一監督「ウチは熊谷市大会から1点差ゲームを何とか勝ち上がってきた感じ。選抜チームを相手にピンチが続いて、点は取られましたけど、大量失点はしなかった。子どもたちがやれる今の力は出せたのではないかなと思います」
―Pickup Team―
楽天!? ボビー!? いや、18年目の監督の下で新たな一頁
くまがや熊谷ウイングス[熊谷市]
ユニフォームの主となるエンジ色も、正しくは「クレムゾンレッド」なのかもしれない。胸のロゴデザインといい、2005年に誕生したNPB球団・東北楽天ゴールデンイーグルスを思わせる。
熊谷ウイングスは同球団の2年後、2007年に熊谷市に誕生した。
「当時は地元の小学校にチームがなくて、逆に中学校の軟式野球部が非常に強かったことから、土台やベースとなるところをつくろう、ということで」
創設メンバーの一人で、当初から30番を背負う倉田賢一監督(=下写真)がまた、彫りの深い“イイ男”。さわやかな立ち居までもが千葉ロッテマリーンズをかつて率いた米国人、ボビー・バレンタイン氏を連想させたが、生粋の日本人だった。
「宮崎県生まれの宮崎育ちです」(倉田監督)
そんな指揮官と選手との信頼関係、ともに確立してきた野球やスタイルへの確信が、準決勝からも随所に読み取れた。
試合中の倉田監督はサングラスで表情が隠れていたが、毎回走者を負うピンチでも冷静だった。「オマエにできることを、そのままやればいいんだよ!」など、選手への前向きで具体的な指示は感情的に響くことがなかった。
4対2と一気に逆転した直後に、4対5と再逆転されて迎えた5回裏。90分の試合リミットが迫り、間違いなく最後になるだろうという攻撃に入る前の円陣では、スタンドの応援席を指さしてから(=上写真)選手たちにこう問いかけた。
「オレたちの武器は何だ?」
すると、うつむき加減でやや硬直していた選手たちの表情に明るさが広がった。
「笑顔です!」
口々にこう答えた後の攻撃では、主将の恒木結稀が二死無走者から中前打で出ると、すかさず二盗(=下写真)。続く石塚快偉斗は四球を選び、長打なら逆転サヨナラという場面までつくってみせた。
失敗なら試合終了という土壇場でも、指揮官は盗塁のサイン。ためらいもなかったという。
「ウチはたくさん打てる子たちがいるわけではないので、盗塁とかバントで1つでも先の塁を取らないと得点につながらない。作戦通り、サイン通りに子どもたちは動いてくれたと思います」
選抜軍のバッテリーはハイレベルで、2回には5年生の関玲央士が二盗を阻まれた。しかし、一塁に出た走者は前の塁が空いていれば100%、スタートを切って3盗塁をマーク。関は適時打を放った4回にもまた刺されたが、やはり盗塁を企図した。それだけの練習も重ねてきたからこその、果敢なトライだろう。
「私なんかはもう、家族より選手たちと一緒にいる時間のほうが長いくらい。週に5日は一緒です。ですから今日も、この子たちのちょっとした変化なども敏感に受け取りながら采配できました」(倉田監督)
4回に一時逆転となる2ランを放った井上竜晟は、そんな指揮官についてこう語っている。
「いつも優しいし、みんなを笑顔で野球させてくれます。サインも指示も、思い切って出してくれるのが一番良いところだと思います」
5年生・松本優和の三塁守備はどこまでも堅実だった
1学年で9人そろうことが珍しくなってきた昨今にあって、6年生が12人いるのは必然なのかもしれない。2019年以来2回目となる全日本学童の県予選で、過去最高のベスト4まで進出という結果に、選手も指導陣も納得の様子だった。
「この大会は4試合中3試合は地域選抜チームが相手で、今日もやはり楽なゲームにはならなかった。勝てればよかったけど、ガマンするということも野球を通じて子どもたちに教えたかったので、良い経験になったなと思います」(倉田監督)
熊谷ウイングスはその後、GasOneカップ県大会でもベスト8まで勝ち進んできている。