【2024注目の逸材】
いわさき・りく岩﨑 陸
[石川/6年]
せいなんぶ西南部サンボーイズ
※プレー動画➡こちら
【ポジション】投手、中堅手、一塁手
【主な打順】三番
【投打】右投右打
【身長体重】150㎝32㎏
【好きなプロ野球選手】ムーキー・ベッツ(ドジャース)、山本由伸(同)、吉田正尚(レッドソックス)
※2024年8月5日現在
「辛かった…」
1年前の夏休みの終わりから、年末までのおよそ4カ月。岩﨑陸が感じたものは、負けて悲しい、打たれて悔しい、という次元ではなかった。
食べる気でいても、口に入れたものが喉を通らない。投げる気でいたのに、当日になると足がすくんで息が苦しくなってくる――。
自分で自分に何度も失望し、もがき苦しんだ。でもその分だけ、物事にいちいち動じなくなった。チームの理解と専門医の指導の下、自らの意思と家族の協力をもってコツコツと階段を上りながら、マイペースの強さと尊さを悟った。
そして「心のケガ」を完治させると、頼もしいエースへと成長していった。そんな今があるからこそ、父・真也さんも打ち明けてくれた。
「1回2回、打たれたくらいでシュンとして泣いとったり、自信がない感じやったのが信じられんくらい、図太くなりましたね。もともと食が細い子で、『もっと食べろ!』は言ってましたけど、『練習しろ!』は言ったことない。食べれんくなったときは、野球をやめるんかなとも思っていたんですけど、小学校の6年間は続けるみたいですね」
次男が継いだDNA
祖父は地元では名の知れた柔道家だった。同じく柔の道を歩んだ父は、授かった3人の息子たちに「道」を指南したことはない。ただし、心の中では武道をやってほしかったという。
「それが3人とも野球です。でも、みんな自分からやりたいと言い出して始めたので、そこは尊重しています」(真也さん)
腕の使い方など投球フォームは、投手をしている2歳上の兄から直々に教わりながら身につけた
球の道に進んだ次男・陸には、器用さと足腰の強さが引き継がれたようだ。
残念ながらプレー動画に収められていないが、50mを7秒15で走る。その健脚を球速にそっくり転化するまでの身体はまだないものの、長い手足を操る投球フォームはしなやかで、バネを訴えてくる。
そしてピッチングがクールで賢い。その拠り所は、遅球の幅とコントロールだ。浮き上がるような山なりの超スローボールから、力をやや抑えた中速球までを意のままに使い分ける。好調時にはそれが、ビシビシと捕手のミットへ。となれば、全力で投じる速球が打者にはまた厄介になる。
「スピード(球速)がないのを自覚しているので、緩急とコントロールでうまく投げるのが持ち味。1球目2球目のストライク率が高いので、相手の打線は早打ちになってきて、打ち取りながら波に乗っていく」
そう評するのは北川貴昌監督だ。6年生が4人しかいないチームにあって、今夏の14年ぶり7回目の全国出場にもエースは大きく貢献したという。
「岩﨑は5年生から大会で投げさせとったんですけど、最上級生なって責任感もより出てきた。持ち味を出して、十分にやってくれたと思います」(同監督)
全日本学童マクドナルド・トーナメントの予選。石川大会の中でも、岩﨑のハイライトは準決勝だ。1日70球の制限ルールも当然ある中で、6回完封勝利を収めてみせた。それも最終回の6回表まで0対0で進んでからの1対0、サヨナラ勝ちを呼び込んだのだ。
「調子が良かった。球が速くて良いコースに投げられました。バックの守りが捕ってくれると思って、いつも投げています。全国でもみんなと声を掛け合いながら、緩急を使って空振り三振とかいっぱい取りたい」
毎週の火曜日と木曜日はチームで練習がある。あとの平日は練習することがあれば、野球を忘れて遊ぶことも。
「全部自分で決めます。お父さんは仕事で、お兄ちゃんは中学の野球部なので、自主練は一人で素振りとか、シャドーとか」
好きなプロ野球選手は、大谷翔平もプレーするMLBドジャースのムーキー・ベッツ。「ムードメーカーで、エラーした人に声を掛けたりするところが好き。メジャーリーグの試合はよく見ています」
監督を刺激した3年坊
「将来の夢? まだ決まってないです。野球以外にも好きなことが? はい、陸上です」
非登板時は一塁や中堅を守るが、一番やりたいポジションは二塁手だと即答した。
「ピッチャーはプレッシャーとストレスがある。調子が悪くてストライクがぜんぜん入らんかったらキツいし。では実際にそういう不調時は? 自分ならいける!と思って投げています」
このあたりの問答を指揮官に投げてみると、なるほどの答えが返ってきた。
「彼はそうなんですよ、自由人。中学で陸上をやるとか、セカンドをやりたいとか、言うとるんです。チーム事情でピッチャーをさせとる形ですけど、そこは責任をもってやってくれてるので感謝しています」(北川監督)
バットの長さと先端の重さを利したスイングで打球を飛ばす三番打者。県決勝で二塁打も放っている
自分は自分である。岩﨑と話をしていて節々に感じるのは、満12歳と思えないような芯の太さと強さ。いちいち周りを気にしたり、人と比べたりしない。そういう素性はどうやら、「心のケガ」を経験する前からあったようだ。
実は北川監督に本気のスイッチを入れたのも、3年生当時の岩﨑だったという。毎年冬に、選手が一人ずつ決意表明する恒例のイベントでのこと。順番が来た岩﨑は何ら物怖じもせず「ボクはジュニア(4年生以下チーム)に入って、試合に出られるのがうれしいです!」と話した。
彼は長らくガマンをしてきたのだった。1年生からチームに入るも、人数不足で対外試合ができない状況が続いていた。それがようやくその冬、試合ができるまでにメンバーが集まった。そしてその喜びを素直に言葉にしたことが、指揮官の胸に響いた。
「普段は何を考えているか、ようわからんような3年生(岩﨑)が、ああやって大勢を前にして感情を出して喋ったのが、何というか衝撃的で。この子のためにも、人数をそろえてやらねばいかん!と改めて決意しましたね」(北川監督)
チームは2009年に日本一に輝いた名門ながら、活動する地域では校区のシバリも解けず、選手は減る一方。そういう中で、指揮官は知らぬ間に弱気になっていた自分に気付かされたという。
「心のケガ」の前と後
元より痩身の岩﨑は現在、32㎏。目立って細いが、本人と保護者の了解もあったので冒頭で「心のケガ」に触れさせてもらった。
そもそもの原因は何だったのか。
「私の『食べなさい!』の一言が決定打になってしまったんだと思います」と打ち明けたのは母・江利子さん。
大事な大会や試合の前に、ちょっとした験を担ぐ伝統がチームにある。「勝つ」ことを信じて、かつ丼やカツカレーをみんなで食すというもの。気休めと言ったらいけないが、どのチームや家庭でもよくやるような些末だ。西南部では昨年の8月末にもそういう日があったが、「とんかつ」のひと切れでも岩﨑には甚だ苦痛でしかなかった。
食の細さに加えて捕食による満腹感。夏の暑さと疲労と投手ゆえの重圧も少なからず…。母にはそれらもわかっていたが、先輩も後輩も保護者もみんながいる手前で「食べれん!」と泣く我が子を放置するわけにもいかなかった。験担ぎの意図も説きながら、最終的には口へ運ぶことを強要した。
そしてその瞬間から、岩﨑の喉と胃袋は固形物の一切を受け付けなくなってしまったという。1週間ほどは、ゼリーやお粥をほんの何口かだけ。そんな我が子を目の前にする母の心の痛みたるや、いかばかりだったろうか。
「自分のペースで食べていくと決めたのが、治るきっかけ」(岩﨑)
徐々に徐々に。量と難さと種類を増していったという。
今年の6月16日。全日本学童石川県大会決勝の前にも、チームでは恒例の験担ぎがあった。そのときの次男坊の弾む声と笑顔が、父は忘れられないという。
「トーちゃん、かつ食べれたわ!」
ふた切れほど胃袋に収めたエースは、同じ右腕・倉邊恵悟と交互にマウンドに立ちながら4対3の勝利に貢献した。
(動画&写真&文=大久保克哉)